|
|
|
|
|
2)ヒトが作り出してきた欲望産業、ヒトの本質に還る気づきを
|
人間の欲望と生きる意味
●飽くことのない欲望
ヒト以外の生きものはあるがままに生きて、あるがままに死を迎えます。
欲望がないのです。生きるための職や環境を求めるだけです。妬みもありません。
策略もありません。ヒト以外の生きものはひがみ根性も持ちません。愛すべき存在。
言い換えれば神様でしょう。
一方、ヒトの歴史を振り返ると、欲望の歴史と言っても差し支えないでしょう。
その欲望のあり方は人さまざまですが、常に自己の快楽を得たいという欲望に向って生きています。
世界を支配したいという壮大な欲望から、日々些細でも、何かしら楽しみごとを見つけて生きていたいという欲望まで、無限の欲望の中にヒトは生きています。
欲望を持つ脳は、無限の想像力を生み出します。それに比例してヒトの持つ欲望もさらに際限がありません。私たち人間も含め、すべての生命の命のよりどころである自然環境にまで、ヒトの欲望が影響を与えてしまっています。
●欲望が生み出すもの
ヒトの心がうれしい、おいしい、楽しい、面白い、気持ちいいなどと感じたい、すなわち快楽追求心。これらの感覚を得ようとする思考が欲望でしょう。
以前より楽しく、おいしく、面白く、便利でなければならず、飽くことを知らぬ欲望を持つヒトの心が作り出す産業構造は、まさに欲望産業。
必然的にヒトの快楽思考を満足させられる産業が発展し、自然保護や希少動物や飢餓に苦しむ人々に対する活動や報道などは、ヒトの欲望産業活動に比べれば、所詮微々たる規模。欲望社会構造に飼い慣らされて麻痺してしまったヒトの多くは、全国うまいもの巡りや、楽しく面白い番組しか見られなくなっているのです。
●得られないもの
ヒトの心でさえお金で買えると錯覚を起こすほど、ありとあらゆるサービスが身の回りにあふれています。欲望産業が作り出す現代社会の風景です。
ヒトから思考力を奪い去るほど、目の前にサービスを並べてくれる社会。いながらにして遠く離れた人と画面の表情を見ながら話ができることでさえ、すでに珍しくなくなりました。
一方、近年満ち足りた欲望産業社会に暮らしているヒトたちの中に、生きる意味を模索する風潮が見られるようになりました。メディアからも生きる意味をテーマに数多くの情報が発信されるようになり、哲学的にその道を説くものから、元気に社会参加を促すものまで多岐に渡っています。書店の棚みの生きる意味や生き方に類する本が数多く並んでいます。
一昔前まではなかった風景です。
テレビでさえ、趣味に生きる、地域活動に生きる、ボランティアに生きる、ものづくりに生きるなどなど。
俗にいう○○ライフのお勧め番組であふれています。
近年のアウトドアライフブームもその象徴の一部と考えられますが、所詮欲望産業にどっぷり浸かって育ってきた世代には本格的な自然とのふれ合いを通じて、心の楽しみを見つけられるハズはなく、せめて気分だけでも味わいたいのでしょうか?無用の長物ともいえる四輪駆動車が待ちにあふれて余計なエネルギーを空費しているのも、自然環境の観点から見れば、人が生み出す負の行為でしかありません。
便利で楽しく、ヒトが望む欲望を満たしてくれる欲望産業に寄りかかって生きているハズのヒトの心が、さまよい始めています。現実に心の病に悩むヒトの数は想像をはるかに超えて潜在的には、国民の15%以上の人々が何かしら深刻な悩みを抱えているという報告もあります。欲望構造がストレス社会を作り出してしまっているのです。
しかし、今後もヒトの心の本質を省みることなく、ヒトが求める欲望を満足させるために欲望産業はさらに加速度的に進歩し、多くのものをすぐに時代遅れにして巨大な廃棄物の山を築きながら前進してゆくのでしょう。
|
|
|
|
|
|
|
|