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11)物質文明がもたらした心の荒廃 今こそ勇気と夢を与える思想を
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哲学・宗教と心の荒廃
●物質文明がもたらしたもの 一見豊かな生活環境を手に入れた経済先進国。一方で一国の経済政策までも左右する投機マネーや多発する民族紛争、まさにカオスの時代です。その中で最近「人々の心の荒廃」がよく言われます。
あたかも人類すべてが目標を失ったかのように、多くの人々の心に全く未来像が見えてこない今、個人・民族・国家という枠を超えた精神的な目標の必要性が問われています。
今日まで続いている文明の歴史を振り返れば、哲学や宗教が人々の心の支えになってきたことは事実です。しかし20世紀に発達した物質文明の潮流は人種や民族間の紛争対立を増し、また国益重視から生まれる国家間の対立、軍事力を背景とした示威行為、経済制圧、それに対抗するテロ活動の激化という悪循環を生み出しました。宗教においてすら愛と平和という基本理念はもはや形骸化し、宗教間の対立や紛争は一向に解決の気配すらありません。哲学にいたっては、今や書物という域を出ることがありません。
混迷の時代に形骸化してしまった感のある宗教や哲学などの価値観は重視されるどころか今や説得力を失い、民族意識の高揚に利用されてさえいます。
2002年に実施された日本人の意識調査でも、宗教はますます人の心から遠くなり、とても精神的指針にはなり得ない状況です。多くの人は目標を失い、さまよい始めています。どこへ向かえばいいのでしょうか? 日々の暮らしの中、人の心に忍び寄る空しさは、いったい何でしょうか?
物質の豊かさが人の心の充実感を生み出すわけではないことや、民族紛争が心の荒廃を埋められるわけではないことを知っているハズです。
生き物としての「人」という見地から、もう少し謙虚に生き方を模索するならば、答えはあるはずです。
●心の荒廃を救うもの 「人」も地球という限りのある世界の中で、他の生き物と同様に生命活動を維持してゆかなければならない事実は動かせません。エネルギー資源や自然環境同様、物事には限りがあることを人は知っています。無限に物事が拡大するハズなどないことぐらいは知っているのに、右肩上がりの経済が失速したからと言って落ち込んでいるのはなぜでしょう。
物質文明に汚染されてしまった人の心には、自力で立ち直れる力はないのでしょうか? 子どもたちに将来の夢を問いかけてもほとんどの場合、「別にぃ」とか「お金があって楽に生活がしたい」とか言うぐらいです。まるで苦労重ねて人生疲れた人の答えです。
大人にしても同様です。何をしていいのか判らないのです。多くの人が目的も夢も自信もやる気も失いつつあります。ですから「快活、壮快、生き生き、俊敏、情熱、凛々、健康的、気配り、思いやり、尊敬、マナー、礼節」など前向きな精神性や他者への配慮を示すような言葉が死語になりつつあります。
電車、バス、路上、所かまわずものを食う、化粧をする、ポイ捨ては当たり前。目は虚ろ、人にぶつかっても無反応。人と会話はおろか挨拶もできない。周囲に無関心で自分にしかで興味がないから、目先の欲望に向かってのみ行動する。しまりのない表情で口を開けたまま、まるでワニが立ち上がって歩いているような・・・近くにそんな人いませんか。
街を歩いても、雰囲気のよさも品性のかけらもなく楽しくもありません。気をつけないと、気配りを知らない自転車や人にぶつかります。人からも街からも、やさしさや他者への配慮が失われてしまっています。
人は群れて生きてゆく社会的動物です。公衆道徳の低下とともに、社会が混迷状態に陥って文明が終わりを迎えるというパターンが、歴史上に見られます。人の心に夢と希望が湧いてくれば、自然にやさしさもマナーも復活します。そのために、今こそ新しい価値観とともに、人に勇気と夢を与える思想が必要なのです。
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