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21)経済発展が希薄にした人間の絆 まず家庭に助け合いの心を |
家庭制度と人間の絆
●家族制度・協力生活の発生
集落や地域レベルから国や世界レベルへと発展をしてきたヒトの経済活動は、近年、加速度的に拡大を続けています。
それらがもたらす力は、私たちが長年培ってきた家族制度や人間の絆という関係にまで大きな影響を与えています。
遙か昔、今のように生きるという意味が広く解釈される時代ではなかった頃、ヒトにとって「生きる」ということは他の生き物と同様に「食べる」ことでした。
食べ物を得る為に家族単位や小さな集団で行動していた人々も、時代とともに徐々に集団をつくり、縦穴住居に住みはじめ、長期間にわたる定住的な集落が形成されるようになりました。
発掘される遺跡を見ても、人々がバラバラに行動していたのではなく、狩りをするにも漁をするにも指導者のもとで協力しあっていたことが容易に判断できます。その頃、既に父親を指導者とする家族制度や経験豊かな力のある者を指導者とする集団ができあがっていたのです。
その後、時代は狩猟、採集、漁などで食べ物を得ていた縄文時代を経て、弥生時代になると農耕文化が生まれ、必然的に米づくりを指導する村の首長が現れ、戦いの指揮や農作業や祭りの指図をするようになり、その地位を高めていきました。
米づくりが広がると、田や水などをめぐって村同士の争いが増え、争いに勝った首長が豪族へと成長し、小さな国が生まれるようになり、後の国家の原型のようなものが発生したのです。
家族、集団、国など各々に強い指導者を頂点とするピラミッド構造が生まれたのです。生きるため、食べ物を得るという行動を原点として、合理的なピラミッド構造が発生したのです。
その頃から特に理由がない限り子ども世代も孫世代も血縁関係の人々も、お互いに近くに住み、協力しあって生きる仕組みができあがりました。
現在でも一部の地域で同じ姓を持つ家が集まっているのはその名残でしょう。
●助け合い社会
今のように金を払って両親の介護を赤の他人に任せるなんて、想像もつかなかった時代です。家族も集団も、指導者のもとで協力し合って活動していたのです。
必然的に、生まれ来る子どもたちも、大人社会の掟や、ものの考え方を指導者を規範として学んでいたのです。物心つく前から、地域社会の中で協力しあって生きることを学んでいたのです。
家を造るにも、屋根を葺き替えるにも、祭りごとをするにも死者を弔うにも、農耕をするにも協力し合っていました。
その後、長い歴史の中、産業の発達とその細分化が進むとともに、幾分か地域社会と人々の絆は薄れてきましたが、ほんの半世紀ほど前までは、多くの人にとって仕事も学校もそれぞれ地域の中でのことでした。しかし近年、経済活動が急速に拡大するとともに、人々は産業の発展がもたらす各種のサービスを利用することが可能になりました。
それまではいわゆる村八分にされると生きていけないほど大切だった地域での協力を必要としなくなり、住む場所も自由に選びはじめ、いつの間にか交通機関を利用してはるか遠くに出かけて仕事をするのが当たり前になったり、幼いうちから片道何十分もかけて通学したりも珍しくない時代になりました。
大人たちも子どもたちも、住んでいる地域の人たちと協力し合うことが昔に比べて比較にならないほど少なくなり、協力を通じて同じ経験や体験をすることもなく、地域社会での共通の意識や相互理解が芽ばえる機会も大幅に減少してしまいました。
経済の発展がもたらした数々の便利さは、多くの場面で私達からお互いに心がふれ合う機会を奪い去ってしまいました。基本的な掟や助け合いの心を学べない社会構造の中で育っている人が引き起こす数々の異常行動が、毎日のようにマスコミに登場しています。今、あなたの家庭の中に、助け合いの心を持った強いリーダーが必要なのです。
より良い社会への第一歩として。
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