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22)使い捨て街づくりは犯罪行為 地域文化や伝統を育てる哲学を |
日本の行政と街づくり
●行政の使い捨ての街づくり
東京の西部、新宿から約25キロほど離れた地域に40年12月、新住宅市街地開発事業都市計画が決定。多摩ニュータウン計画は幕を開けました。以後37年間、行政主導型の街づくりは、そこに移り住んだ人々にどのような生活をもたらしたのでしょう。
人が集まって住み始め自然につくり出す街、そこに自然発生する地域文化。街は決して一時的なものではなく、何世代にもわたる永続的なものというのが本来的な街のあり方です。普段意識しませんが、街は人の生活と心に大きな影響を与えています。
計画都市である多摩ニュータウンは、当時としては斬新な感覚の高層住宅が連なり、未来都市の予感を人々にもたらしたのでした。しかし、四・五階建てにもかかわらずエレベーターがない建物。外観も無機的なデザインゆえに、古くなって風格を漂わせるどころか、老朽化ばかり目につくようになってしまいました。
そこに住む住人の平均年齢も次第に高くなっています。しかし、建物内部の設計は決して次世代を見据えた構造とは言えず、浴室一つ改修するにも多くの制約をクリアしなければなりません。それでも満足とはほど遠いのですが。
わずか30年程度で老朽化を感じさせてしまうような稚拙な設計によるコンクリート住宅。永続的に使い続けられる建物や街であるべきなのに、現実はそうではないのです。世代構成にも歪みが出て、当然に学校だってつかわれなくなってしまいます。
実際、多摩ニュータウンを故郷とする人たちの母校である小中学校や高校が、どんどん廃校に追い込まれています。数年先にはこの地区だけで小・中・高、合わせて四校の閉鎖が決定されている現実。これは何を物語っているのでしょう。
街を使い捨てているのです。建物を消費しているのです。環境問題の視点から見ても、自然に対する犯罪行為と言っても過言ではない状態です。まさに使い捨て文化の象徴とも言えるでしょう。
その意味で、都市計画のお手本であるべきニュータウン計画や再開発計画が、実際にはほんの一世代程度のライフサイクルでしか住人の生活を見据えていない現実に愚かさを感じます。
●長期的な展望の都市計画を
街を構成する建物について海外に目を向けてみると、イギリスの平均建物使用年数は140年、フランスでは約90年弱。最新のデータによれば、日本では26年。このあまりにも大きな違いは、いったいどこからくるのでしょうか。
刻々と変わる経済社会の中で日々の生活に追われる人々の心を癒すことのできるものは、安心して永続的に住むことのできる街、全ての世代にとって快適な建物、そして雰囲気のある街並みなのです。
金融、物流、教育をはじめとして、多くの制度やシステムがめまぐるしく変化するまさに淘汰の時代だからこそ、人の心は癒されなければならないハズ。
それを象徴してか、旅行でも名所旧跡の駆け巡り主体の観光ではなく、時間をかけて滞在したり、目的を持って出かけるコースが人気となっています。訪れた地域独特の文化の香りがする街並みを散策し、人々の生活文化に触れ、雰囲気を味わうという楽しみを求めるようになってきているのです。
街は生活の基本であり、心の拠り所となるべき場所です。日本人の多くが都市部に住んでいる現状を考えれば、高層建築が立ち並ぶニュータウンと言えども、人々の心の故郷になるべき姿を持っていなければならないのです。行政主導の街づくりであるならば、なおさら、長期的な展望を持った都市計画ができるはずです。
住む人が愛着を持って住み、安心して生活をし、何世代にもわたって歴史を刻んでいく。そこで地域文化や伝統を育てていくことのできるような基盤が必要なのです。そうすれば、自ずと調和のとれた景観と雰囲気のある街が生まれるものと思います。
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