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24)心のケア欠落や医療過誤を招く利潤追求型医療体制の改革を |
現代医学と日本の医療制度
●誰のための医療制度か?
私たちはさまざまな制度や体制に囲まれて暮らしています。本来、制度や体制は、人々が合理的に暮らしていくためのものです。したがって制度や体制も、人々の生活様式や意識の変化に応じて、改革や改善がなされるべきものです。旧態依然の制度や体制は、私たちに何の利益も与えないどころか、場合によっては命さえ脅かす存在にもなるのです。しかし、近年その体制や制度の改革・改善が、私たちの生活や意識の変化の速度に追いつけない状態です。
単に時代の流れが速くなっているせいでしょうか?合理的であるべきはずの制度や体制が、反対に私達に不合理を押しつけるようであれば、大きな問題です。
しかし、複雑化した今の社会に生じる問題の多くは、たくさんの要因を内包しており、原因が単純ではありません。
私たちの命を守る大切な医療制度にも、大きな問題が見えてきています。毎年、増え続ける政府管掌健康保険制度や企業保険組合の赤字。それを生み出す構造、つまり医療制度に大きな問題が隠されているのです。昭和30年代中頃まで、多くの人たちは病気になった時、近くの医者、今でいうホームドクター的な町医者に訪れていました。
当時、大きな病院に入るということは、よほど重い病気に罹ったんだねと、噂が広まるぐらいでした。
今のように現代医学が発展し、一日千人を超える患者を集めるような総合病院が出現をするまでは、主に私たちの病気は町医者と呼ばれた医者に病気の管理を任せていました。地域住民と密接な立場にあった町医者は、自然に患者の生活状況までも考慮して、治療にあたることができました。今はやりの心のケアまで、自然に行なっていたのです。
●医療制度欠陥の多くの要因 近年、医療の現場と最新科学技術が本格的に融合するようになって以来、大がかりな検査装置や高額な医療機器が続々と導入されるようになりました。今や、年間30兆円の金が動く医療行為がビジネスとして大きなうま味を持っていることに、病院を経営する人や医療関係者が気がづき始めたのです。
さらに、現代社会が多くのストレスを人々に与え続けるようになって以来、人体の自己崩壊ともいえる非感染症が感染症数を大きく上回るようになり、病名も覚えきれないぐらい増えてきました。診療科目の分野においても増え続ける病気の種類に対応すべく、心療内科とか乳腺専門医など以前にはなかった専門科目、専門医も増え続けています。
診療を受ける側からすると、いつでも医療機関の情報や自己の病名判断情報を得られます。インターネットを見れば、各医療機関のホームページの充実ぶりは見事で、病院内の見取り図などは当たり前。専門医の自己紹介から経営理念まで何でもござれの世界。まるでいらっしゃいませと言われているような感じです。
いつしか私たちも、有名で立派な設備や立派な建物で安心感を与えてくれる総合病院に集中するようになり、それを見越してか、気がつくと地域ごとに立派な病院が設立されています。医療の巨大化です。
物事は巨大化すると、必ず弊害が生じます。当初の理念がどこかへいってしまって、巨大化した制度から生まれる利権に左右されてしまうのです。
この他、医療現場制度の欠陥から生じる多くの問題は隠されることの方が多く、その実態は希に報道される医療過誤の記事などから推測をするしかありません。
巨大化した制度から生まれる利潤追求型の医療体制になっていないでしょうか?お金がかかりすぎる今の医療。巨額なお金がどこかへ消えてしまう今の制度は改革されるべきです。
儲からないといわれた小児科が、消えていくような国にはしたくないのです。
医療制度の改革精神は、現場の医師が患者の身になって安心して治療にあたれる環境を整えるべきです。決して効率化でも利潤追求でもないのです。
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